「ダルビッシュじゃなく、川崎になれ!」と言われた社会人1年目

_var_mobile_Media_DCIM_125APPLE_IMG_5170.JPG

 

新卒でリクルートキャリアに入社した僕。面接をしたのは東京駅のふもとにある立派な街並みの中のビル。エレベーターを登るとまたエレベーターがあって「これぞ勝ち組の社会人!ヒャッホーイ!」ってなるような場所に本社はあった。
 
4月になり、研修がスタート。当時は1ヶ月と手厚い研修期間があったので、社会人のスタートはその本社ビルで始まった。
 
 
何も疑わず、立派なビルで働く姿を想像していた僕。たとえ大阪になったとしても、立派なビルだ!こっちがいい、あっちがいいとか考えることもなく、言葉通り疑いすらしていなかった。
 
しかし、ある電話で告げられた配属。僕が最初に配属された支社は「大阪南支社」だった。
 
ふんふん、大阪支社ね!希望通り!ヒャッホーイ!と思っていた。…あれ?違う?「南」ってなんだ?まぁでも大阪だしいいか!そんな気持ちで過ごしていました。
 
 
そして研修が終わり、帰阪。休日に早速下見に行こうと、支社がある難波に赴いた。そこでみた光景はこちら。
_var_mobile_Media_DCIM_125APPLE_IMG_5171.JPG
 
あれ?洋服の青山?これじゃないよね?
 
そわそわしながらスマホで再検索。違う!やっぱこれだ!!まじか!嘘だろ〜!と、なったのは本音の話。笑
まさかの雑居ビルだった。
 
 
面白おかしく書いているものの、今は本当に大阪南支社で良かったと死ぬほど思っているし、こちらの恩師もまさに大阪南支社のときの上司。
コタツでコハマ会へGo! : 松田佳大 -CRAZY WEDDING-
 
実は優秀な人材輩出拠点になっていて、ここから活躍している人が多いことを聞いて、胸を躍らせていた頃を思い出します!
 
 
そんな初の配属先の歓迎会にて。野球好きの上司から、野球無関心の僕へ、野球雑誌「number」が贈呈され、その表紙には川崎宗則選手が掲載されていた。
 
ちんぷんかんぷんの僕に一言、「お前は今日から、ダルビッシュじゃなく、川崎になれ!」と。
 
 
 
当時、グラコロンでハモネプに優勝して、大きな成功体験もあってプライドが高かった自分。それを見越して、大阪南支社では「あいつのプライドをまずは潰そう」と僕が来る前から話になっていたそうで笑、早速出鼻をくじかれていた。
 
↓グラコロン
グラコロンの歴史は終わるか?続くか? : 松田佳大 -CRAZY WEDDING-
 
 
憧れのリクルート。憧れのビル。確かに、ダルビッシュ。僕の社会人は、難波の雑居ビルで、宗リンを目指す形でスタートしたのだった。
_var_mobile_Media_DCIM_125APPLE_IMG_5169.JPG
 
 
 
そこで昨日に話を戻す。それから4月年が経った。コタツで話を繰り広げ、numberを贈呈された話を笑い飛ばしたりした。
 
でもその中で、「おもろかったな〜あれ。でも、ほんまに川崎宗リンになったんやからスゴいよなぁ!」とサラッと言ってもらえた。
 
すっごい嬉しくて、「あ、そうか、今は川崎宗リンみたいに、お金も名誉も捨てて馬鹿になって信じた道を行ってるのか」と、とても自分を承認することができた。

 

 
 
宗リン、会ったこともなければ本を読んだこともない。宗リンを四六時中目標にしていた訳では正直ないです。でもあなたのおかげです。今日、本を買いに行くので許してください。笑